【河内元副市長問題とは?】 その6 市立病院のドンとなっていった経緯
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日野市議会議員の【奥野 りん子】です。
6、市立病院をめぐるお金の流れ
H21年6月 河内氏、病院経営専門監に就任。
H24年4月 週3日の臨時職員として院長相談役に就任。28万円の月給でスタート。
H25年10月 月給がいきなり、6万2000円アップして、34万2千円に。
H26年4月 月給がさらに1万8000円アップし、36万円に。
H28年10月 週5日勤務に変更に伴い、時給換算でアップにあたる55万円で契約。
○H25年は、組合から個人委託料が入るようになった年
○H26年は、区画整理組合への助成対象を拡大する要綱改正を行った年で、河内氏への委託料も増加
○H28年も、同じく区画整理助成金を要綱改正し、河内氏への委託料が増加した年
日額に直すと、1万8700円が2万2800円になり、2万4000円になり、最終的には、2万5000円にまでアップしている。院長相談役の、3回の昇給の理由に付いては、明確な回答はない。
ただし、昇給の時期が、区画整理における委託料アップの時期と同じであることを鑑みれば、河内氏本人からの要求である疑いが強い。
7、なぜ、河内氏に逆らえる人間がいなかったのか?
2004年(H16年) 市立病院が建替えられ、180床?から300床へ、規模が拡大された。
○同年に、新しい臨床研修医制度がスタートしたことで、大学病院に医師不足が生じ、公立病院に医師を派遣する事が困難となる。
○建替えから1年以上たったあたりから、市立病院も影響を受け始め、医師不足や産婦人科の休止といった非常事態が起きたことをきっかけに、当時、副市長だった河内氏が、慶応医学部との交渉に当たるだけでなく、「市立病院付き」という肩書をもって経営改善にあたった事により、病院に関しては、河内氏以外は口出しできない部門となり、彼の独壇場となっていく。
○以下の院長、副院長に対する「手当の増額」は、病院付き副市長、あるいは、経営専門監、院長相談役として、院内で実権を握ってきた河内氏が主導で行われた事は、疑う余地も無い。トップの待遇を大幅UPする手法によって、院長を懐柔しようとしたと思われる。
○「セクハラ・パワハラの実態を解明する第3者委員会」の答申は、院長が、院内を把握していない事を認めている。かつ、毎月100時間近い河内氏の残業を、ノーチェックで許していたことを鑑みれば、院長相談役の仕事ぶりを、院長が、きちんと管理監督していたとは、全く考えられない。
河内氏主導で行われたと思しき病院幹部の手当の増額
2008年(H20年) 副市長最後の年に、特殊勤務手当(医療現場の現業職)の幹部職員については、大幅アップする条例改選を行っている。これによって、院長に関して言えば、月額16万円から31万円にアップした事により、年収が180万円のUPとなった。
2014年(H26年) 「経常管理手当」の改正により、月のベッド稼働率が83%を越えた場合に、たとえば院長は、15万円のご褒美がもらえるようになった。毎年、冬場は、83%超える月が発生するので、これにより、院長は、多い年でさらに90万円の報酬アップとなっている。
2018年(H30年) 「H20年に増額された特殊勤務手当の期限を、33年度まで延長する条例改正」が可決。この年は、セクハラ、パワハラ問題が起きて、院内ハラスメント防止委員会が調査をする事を妨害する委員(市が人物特定を拒否)がいたために、委員長である副院長は、被害者の訴えを握りつぶさなければならない格好となった。そのハラスメント防止委員会のメンバーは、医師部会、看護師部会、事務部会から選出された7人で構成されているが、河内氏もそのメンバーの一人だった。副院長の毎月の手当、14万円を確保すれば、やりたい放題、牛耳れると考えたとしたら、辻褄が合う。
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【河内元副市長問題とは?】 その4、解明すべきお金の流れ(区画整理)