はじめに
皆さん、こんにちは。市議会議員の奥野りん子です。
奥野りん子は、5人の子どもを育てながら働くお母さん議員として、6期24年間、市民の皆さんからお寄せいただいた声を、議会で代弁させて頂きました。
初立候補のお話があったのは、32歳の時です。しかし、足に障害をもって生まれた次男(第4子・当時1歳)の治療に専念していたため、お断りしました。
36歳の時には、次男も歩けるようになり、その間に生まれた三男(第5子)も2歳になったので、2度めの立候補要請についてはお受けすることにしました。
実家が遠くて支援の無い議員生活は、初めから困難の連続でした。
5期目の選挙が終わった3月に、末っ子も大学に合格し、「やっと、思う存分羽ばたける!」と思った瞬間に、末っ子が脳出血で倒れてしまいました。
闘病の末、記憶障害が残った三男には居場所も無く、話し相手は母親である私だけでした。しかし、その三男も、就労支援を受けて、無事、障がい者雇用枠で採用され、働き始めました。
息子の闘病中は、介護をしながらの議員生活は気が狂いそうでしたが、それでも手を抜くことなく、「市民こそ主人公」の立場でがんばりました。
その辛さを乗り越えることで、「弱者の立場に立つ」「福祉の後退には一歩も引かない!」という思いも強くなりました。子育てや、障がい者・高齢者分野を中心に、今後も全力で取り組みます
プロフィール
1961年 5月6日、沖縄市生まれ
沖縄市 諸見小学校、山内中学校を卒業
昭和薬科大学付属高校、中央大学を卒業
非正規の職場や劇団制作部勤務を経て、
1998年に日野市議会議員に当選
現在、6期め
家族 夫(医療法人職員)
長女(小児科医)
長男(総合内科医)
次女(教師)
次男(呼吸器内科医)
三男(スポーツジム勤務)
写真は初立候補の時、沖縄から母が手伝いに来てくれたときの写真です。
長女13歳、長男9歳、二女7歳、次男5歳、三男2歳、私(
〇趣味:洋裁
〇好きな食べ物: 桃、マンゴー、うに
〇尊敬している人物:地道にコツコツ真面目に生き抜く人々
〇座右の銘: ぬちどぅ宝(命こそ宝) なんくるないさ!(なんとかなるさ) いちゃりばちょうでー(出会えば兄弟)
いずれも、沖縄魂を象徴する言葉です。
〇プライベートで嬉しかったこと 末っ子が、障がい者就労支援を経て、社会人になれたこと。
私の原点
反戦
・・・・私の親族の歴史は、沖縄戦の歴史そのものです。
20歳で出征し、南方へ向かう船ごと沈められた伯父、宮崎に疎開する船ごと沈められた3人の従兄。
17歳で少年兵として銃を持たされ生死をさまよった伯父。
16歳で従軍看護師として行き地獄を味わった伯母
15歳で長崎の軍需工場に送られ、被爆し、白血病で亡くなった伯父・・・・・。
無くなった方の無念を晴らす道は、この世から戦争を無くす事です。対話こそ、政治の役目だと思います。
子どもは宝
私が子どもの頃、沖縄には、保育園がありませんでした。教師だった母は、近所の老女に子守りを託して、老女から老女へとリレーする毎日で、預け先が見つからなかった日は、当時、2~3歳だった私と兄は、母の勤務する小学校の校庭で遊ぶこともありました。
まさしく、綱渡りのような子育てです。
母たちの署名活動で、保育園ができました。
先人の血のにじむ努力の上に胡坐をかいてはいけないと思います。母は、子どもを宝として大切に育てる教師の道で頑張りましたが、私は、その環境を整える政治の道に進みたいと、5番目の子が1歳の時に、立候補を決意しました。
実績
過去のチラシ