はじめに

皆さん、こんにちは!市議会議員の奥野りん子です。
5人の子どもを育てながら、6期22年、市民の皆さんからお寄せいただいた声を、市議会で代弁させて頂いています。
次男は、足に障害を持って生まれましたが、良い仲間に恵まれ、学校で差別されることもなく、かつ地域の皆さんの温かさに育まれ、のびのびと育ちました。

末っ子は、前回市議選の直後に脳出血で倒れ、記憶の障害が残りましたが、回復に向けてがんばっています。
4 年経って、末っ子の闘病も落ち着きましたが、この4年間は、私の人生において、本当に苦しい時期でした。しかし、それでも手を抜く事なく議員活動に励みました。

ここで共産党から離れることになりましたが、「個人の尊厳」に心が砕けない組織のあり方に、「堪忍袋の緒が切れてしまった」というのが偽らざる思いです。無所属となっても、子育てや、障がい者・高齢者分野を中心に、今後も全力で取り組みます。

プロフィール

1961年 5月6日、沖縄市生まれ
沖縄市 諸見小学校、山内中学校を卒業
昭和薬科大学付属高校、中央大学を卒業
非正規の職場や劇団制作部勤務を経て、
1998年に日野市議会議員に当選
現在、6期め

家族 夫(医療法人職員)
長女(小児科医)
長男(総合内科医)
次女(教師)
次男(研修医)
三男(大学生)

私の原点

反戦
・・・・私の親族の歴史は、沖縄戦の歴史そのものです。

20歳で出征し、南方へ向かう船ごと沈められた伯父、宮崎に疎開する船ごと沈められた3人の従兄。
17歳で少年兵として銃を持たされ生死をさまよった伯父。
16歳で従軍看護師として行き地獄を味わった伯母
15歳で長崎の軍需工場に送られ、被爆し、白血病で亡くなった伯父・・・・・。
無くなった方の無念を晴らす道は、この世から戦争を無くす事です。対話こそ、政治の役目だと思います。

子どもは宝
私が子どもの頃、沖縄には、保育園がありませんでした。教師だった母は、近所の老婆に子守りを託して、老婆から老婆へとリレーする毎日で、預け先が見つからなかった日は、私と兄は、母の勤務する小学校の校庭で遊ぶこともありました。

まさしく、綱渡りのような子育てです。

母たちの署名活動で、保育園ができました。

先人の血のにじむ努力の上に胡坐をかいてはいけないと思います。母は、子どもを宝として大切に育てる教師の道で頑
張りましたが、私は、その環境を整える政治の道に進みたいと、5番目の子が1歳の時に、立候補を決意しました。

実績
過去のチラシ

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