子どもの権利条約に則り、日野市に政策提言

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あなたを守る社会をつくる
日野市議会議員の【奥野 りん子】です。

子どもの権利条約と子ども基本法にのっとり、

日野市子ども条例を改正する事を求め、

2022年8月30日に大坪市長に提言を提出しました。

大坪市長へ奥野りん子が提言書提出

「日野市子ども条例の見直しと、子ども若者支援推進法に基づく新条例の制定を!」の提言書のPDFはこちら

 

提言書の内容を以下に記載いたしました。

政策提言

 

子ども包括支援センター開設に当たり、日野市子ども条例の見直しと、子ども若者支援推進法に基づく新条例の制定を!

 

 

本年6月に、「子どもの権利条約」の批准に基づく国内法として整備された「子ども基本法」が、国会に置いて、可決・成立しました。

日野市では、「日野市子ども包括支援センター」を開設する運びとなっていますが、子どもの権利擁護の基地となるべき同センターにおいては、「子ども政策の基本理念である「子どもの権利条約」や「子ども基本法」の精神を、その運営方針にしっかりと位置付けなければなりません。「日野市子ども条例」をその趣旨に沿って早急に点検し、見直す必要があります。

また、ニートや引きこもり対策に関しては、これまで、「成人に達しても自立できていない成人に対する支援」に関する根拠法が無かったため、昨年、7月に「子ども若者支援推進法」が制定されました。この法律は切れ目ない支援を目的として制定されたものですが、日野市には、同法に紐づく条例がありません。

以上の状況を踏まえ、日野市のきめ細やかな子ども政策を、条例的に補完することを目的に、以下の二つの提言をさせて頂きます。

提言1,「子ども基本法」の趣旨に沿って、「日野市子ども条例」」を改正する。

提言2,「子ども若者支援推進法」に紐づいた日野市の条例を制定する。

 

まず、提言1「子ども条例の改正」に関して、その趣旨を述べます。

子どもは大人と同じく、社会を構成する1構成員です。子どもは親の付帯物では無く、生まれながらにして生きていく上で必要な権利を持ち、自らの権利を行使する主体です。

以下、世界、国内、日野市と、子どもの権利に関する行政的位置づけの変遷を追います。

まず1989年に、国連において子どもの権利条約が採択されたことをもって、「子どもは、生まれながらにして固有の権利をもち、どのような状況をもってしても、その権利の行使が保障されなければならない」という子ども観が、世界のスタンダードとなりました。

しかし、それ以前の世界においては、「権利とは、納税義務とセットで初めて行使できるもの」という認識が主流でした。そのため、納税義務の果たせない子どもは、権利を行使する主体とは見なされず、「人間として不完全な子どもは、親の付帯物として、行政では無く親から守られるべき存在である。」と見なされていました。

しかし、このような子ども観のままでは、必然的に、子どもの命を救えない状況に立ち至るため、人権感覚の高まりと共に、世界の常識は変化していきます。

成長途上にある子どもは、人間として不完全であるが故に、自力で権利を行使する事はままならないのみならず、親の能力や愛情だけに任せていては、権利を行使する自由を担保できません。

よって、「子どもの権利は、社会全体でこれを認めない限り、守ることはできない。」という認識を世界が共有し、「しっかりとその権利を認め、保証すべきものである。」と言う立場に立つことによって、子どもの権利条約の締結へと繋がりました。

 

日本においては、

日本政府が「こどもの権利条約」を批准したのは、採択から5年後の1994年の事であり、さらにそこから28年もの歳月を経た本年6月に、やっと、法整備にたどり着くことができたわけです。日本国内において、子どもの権利条約の精神を政治的に根付かせるには、かなり険しい道のりがあったと言えます。

法整備が30年近く遅れた結果、政治の光がなかなか子どもに当たらなかったこの間に、虐待・いじめや・引き籠り・10代の妊娠・パパ活・自殺といった深刻な問題が、子ども社会において蔓延してしまった事を、大人として悔い改めなければなりません。

そうした教訓に基づき、本年6月に、国会において、子どもの生きる権利や健やかに成長する権利を明確に位置付け、これを保障する「子ども基本法」が成立したわけですが、新法成立をもって、今後、地方自治体においても、条例の制定、あるいは、新法に沿った既存条例の見直しが求められています。

そして、日野市においては、

2008年に、「日野市子ども条例」が制定されました。日野市子ども条例の最大の特徴は、親にも、大人にも、そして子ども自身にも、「責務」を課しているという点にあります。

日本国憲法は、「納税義務」と「子どもに義務教育を受けさせる親としての義務」の二つしか、国民に課す義務はありません。そして、貧困と格差が増大してしまった現在、たとえ大人と言えども、そのたった二つの責務さえ果たす事が厳しい状況下にあります。

そのような現状に置いて、「権利の行使は、責務を果たす事とセットでなければ認めない」という認識や、「子どもは責務を課すべき対象」と捉える「子ども観」は、かなり異質で無理があると言えます。

この条例が制定された2008年は、バブル崩壊によって地方自治体の財政悪化が表面化した最中に、追い打ちをかけるようにリーマンショックが起きた年でした。社会が自己責任論へと流れていった時代背景が、日野市子ども条例に、多大な影響を与えたと言っても過言ではありません。

当時、社会には、自助、共助が当たり前のような風潮がありましたが、自助や共助だけでは、当然の事ながら、取りこぼされてしまう人たちが出現する事になります。よって、「自助・共助といった自己責任論だけでは子どもは守れない」という側面が、社会と政治のスタンダードとなった事により、子どもの権利条約の精神を具現化する必要性に迫られたからこそ、「子ども基本法」の制定へと繋がったと言えます。

こうした経緯を踏まえるならば、日野市が、子ども包括支援センターを開設するに当たり、その根拠条例となる日野市子ども条例についても、内容を見直すべき時が来ているということになります。

以上、子どもの権利に関する歴史的変遷について、述べさせて頂きました。

 

次に、日野市子ども条例の特徴について述べます。

日野市の子ども条例は、「子どもの権利を守る条例」とは見なされていません。

「一般財団法人地方自治研究機構」出典の「子どもの権利に関する条例」によれば、全国の子どもの権利条例は、以下の3つに分類されています。

①子どもの権利をテーマにした条例=63自治体。

②子どもの権利の救済を目的としたオンブズマンや、救済委員会の設置移管する条

例を持つ自治体は=7自治体

③子どもの健利の内容を掲げ、その尊重を規定する条例=6自治体

日野市は、上記のうち③に該当します。③は「子どもの権利条例」の亜種として扱われているわけですが、その理由は、どういう点にあるのでしょうか?

 

日野市の子ども条例の「特徴その1」として,日野市の子ども条例は、子どもに「責務」を課しています。

子ども条例を持つ自治体の中で、日野市のように子どもに責務を課している自治体と言うのは、全国的に見ても稀有な存在と言えます。この点こそが、日野市こども条例の最大の特徴と言えます。

ではここで、子ども基本法や他の自治体条例と、日野市条例との違いを、具体的に述べたいと思います。

子ども基本法は、子どもの権利を守る主体を、①「国」②「地方公共団体」③「事業主」④「国民」の4つに分類した上で、国と地方公共団体には、「責務」を課し、事業主と国民に対しては、「努力義務」を課しています。

そして、国に先駆けて、子どもの権利条例を制定した自治体は、子どもの権利を守る主体について、次の4つに分類しています。

①「自治体」

②「親や保護者」

③学校・保育園等の「子ども関連施設」

④地域の事業所や親以外の大人を含む「地域社会」

以上の4分類のうち、①の自治体以外の3者については、国の法律において「努力義務」に当たる部分は、「役割」という言葉で表現されています。

では、日野市の条例はどうなっているのかと言えば、子どもの権利擁護に取り組む主体として、日野市も同じく、その4つに分類している訳ですが、親や保護者や施設や地域社会の取り組みについては、「役割」では無く、「責務」と規定しています。

日野市はさらに、大人に責務を課すだけでなく、子どもにまで責務を課しています。その点こそが、まさしく、日野市子ども条例が「子どもの権利条約」には分類されない原因であると指摘されています。

 

では、パブリックコメントを経て、当初の案文には無かった「責務」という言葉に落ち着いた背景において、どのような考え方が影響したのでしょうか?

日野市の子ども条例は、大人と同じ権利を子どもにも認めるにあたり、いくつもの条件を付けて、それらをクリアする努力を、子どもたちに求めています。

その努力を「責務」と規定しているわけですが、この「責務」と言う言葉は、「権利は義務とセット」という論理を前提として用いられていると考えられます。

この考え方の根底には、「責任を果たす者だけが、権利を行使する資格がある。」言い方を変えれば、「税金を納めてもいない人間のために税金を使う事は許さない」という意識があると考えられます。

「権利を認めるからには、子どもにも責任を求めよ」という考え方は、「男性並みに働けない女には、男並みの賃金を支払うな!」という主張に共通するものがあります。しかし、今やその、女性の生理を度外視した男女平等論にしても、既に時代錯誤となっています。子どもの権利を本質的に捉えた場合に、「権利」と「義務」を併記する事は、不合理であり不適切です。

 

子どもは皆、発達途上にあり、親、大人、社会から、不完全な人間として守られなければならない存在です。

ところが、社会には、親から育児を放棄されて成長が阻害されている子もいれば、逆に、常識のない親から分離されない限り、まともな成長は望めない子もいます。

今を生きる子どもたちは、複雑な背景と解決しがたい困難を抱えており、社会情勢が不安定になればなるほど、自分でも原因がわからない底知れない不安に苛まれ、引きこもりや自殺は増えていく一方です。

大人でも抗うのが難しい厳しい社会情勢は、大人の経済活動や社会活動によって形成されたものであるにもかかわらず、今現在、何の責任もない子どもたちが、その荒波に巻き込まれ、翻弄され、苦しんでいます。

ただでさえ厳しい現実があって、活きていてくれるだけでありがとうと言いたい時代だというのに、さらなる責務を子どもに果す必要は無いと考えます。

「子ども」という言葉で一括りにして責務を課すことは、「努力を促すため」と理由付けしたところで、責任能力の無い乳幼児や障がい児も含め、成長途上にある不完全な、子どもに対して、必要以上の負荷を与える事になります。

また、「責務を果たせない子どもの権利は制限されるべきもの」という誤ったメッセージを、子どもたちに与えかねません。

責任能力の無い不完全なこどもたちを救う事を目的とする子どもの権利条約とは異なる子ども観であり、逆に、子どもの権利行使を阻害する要因と成りかねません。

子ども基本法の制定をしっかりと受け止めて、子どもの責務を削除する条例改正を求めます。

さらに、大人社会・地域社会が子どもの権利を守る事に関しては、「責務」という言葉で押し付けるよりも、 むしろ、「支援する人も、支援される」というメッセージを発信する事の方が重要ではないでしょうか?

日本国憲法に規定される国民の責務は、「納税義務」と「子に義務教育を受けさせ る義務」の二つしかありません。よって、地方自治体が市民に対して、憲法を踏み越えた責務を課す事については、厳しすぎると感じます。

大人社会に関しても、「責務」と言う言葉を「役割」に変更するという改善を求めます。

 

日野市子ども条例の特徴の二つ目として 子どもの声を吸い上げる仕組みがありません。

日野市条例は、子どものもつ権利を、第11条から15条にかけて細かく規定し、その権利を保証するために取り組むべき「基本施策」が、第17条で位置付けられています。そして第18条で「推進計画」を策定し、公表すると謳い、第19条には「推進体制」の整備が書き込まれています。

第18条の推進計画は、「子どもの現状の調査、把握に基づいたものとする事」「親など保護者、子ども施設に関わる人、子どもの健全育成に関わる人、市民の意見を聞く事」とありますが、肝心の、子どもの声を直接吸いあげる仕組みは、規定されていません。

第20条では、「子ども条例委員会」を設置して、「市長の諮問による検証、委員会独自の検証を行う」とされ、市長に答申を出したり、提言したりすることを認め、市長がその委員を任命する事になっていますが、そのメンバーの中にも、子どもは含まれていません。

少なくとも、第20条には、「子ども条例委員会」の委員が答申や提言をまとめる際には、子どもたちからの意見を聴取する機会を設け、まとめ終えた段階においても、子ども達からパブリックコメントを求める。その前に市長に提出する事はできない」というような文言を、書き加えるべきです。

子どもが意見を表明する場として、子どもを委員とする「子ども委員会」を併設する事は、条例の性質上、不可欠要件ですので、第20条に、「子ども委員会」の設置を加える改善を求めます。

 

日野市子ども条例は、全ての子ども施策の根幹となる条例です。今現在、政府が推し進める基本方針や行動計画の策定に合わせて、その都度、自治体も、関係者を集めた委員会を設置しているわけですが、20条に規定される「子ども条例委員会」が母体となって、「分野ごとに関わってもらいたい専門家や保護者を、その都度招集し、委員に加える事ができる」と条例に規定すれば、1本化する事ができます。「子どもの貧困対策」の方針やら「子ども子育て支援会議」の行動計画やら、場面ごと分野ごとに、その都度、委員会を設置しなくても済みますので、市政運営としても効率化が計れます。

例えば、青少年育成協議会の委員も「子ども条例委員会」が兼ねるという形にすれば、総合的な政策提言がしやすくなると思います。

 

日野市子ども条例の特徴の三つ目として、権利侵害に対する救済制度がありません。

日野市条例は、第16条で、「子どもがいじめや虐待を権利侵害やその他不利益

を被った場合に、安心して相談や救済を求める事ができる体制を整備します。」と 規定しています。しかし、どのような体制を整備するのか規定していない事から、条例制定時には何も決まっていなかったという事がわかります。

権利は、責任とセットではありません。権利は行使とセットです。行使できて初めての権利であって、行使の保障が担保されていないものを権利とは言いません。

権利を保障するための条例である以上、①権利行使の保障があること、②権利を侵害された場合の救済がある事、この二つを定めることは不可欠ですから、「子どもオンブズパーソン制度」の設置を規定する必要があります。

そして、日野市においては、子どもの貧困対策基本方針の中に、「子どもオンブズパーソン制度の検討」が挙げられていますが、これを制度化するためには、条例の中に、子どもオンブズをしっかりと書き込む必要があります。

 

提言2の、「子ども若者支援推進法」に紐づいた日野市の条例の制定に関して、その趣旨を述べます。

昨年、国会に置いて、①「引きこもりやニートの状況にある子どもや若者を支援し、自立に導く」、②「地域ネットワークづくりを推進して、発生抑制に務める」という2つの太い柱によって組み立てられた「子ども若者支援推進法」が制されました。

「子ども若者支援推進法」は、ニートや引きこもりや、子どもの貧困対策として、成人年齢である18歳を超えても、自立するまでの間の「切れ目ない支援」に取り組む必要性がある事に鑑み、立法化されています。しかし、今現在、日野市には、この「子ども若者支援推進法」に紐づく条例が、存在しません。18歳を超えてしまった若者を対象に総合的な施策を展開するにあたり、日野市には、その根拠条例がありません。

日野市では、この間、若者の引きこもり問題に関して、セイフティーネットコールセンターが実態調査をしています。そして同じく、セイフティーネットコールセンターによって、「子どもの貧困対策に関する基本方針がまとめられました。

しかし、セイフティーネットコールセンターは、「貧困対策」の部署であるため、就労に繋げる支援を目的とした施策でなければ、予算の獲得は難しく、ニートや引きこもりが、貧困と関係ない原因によって起きている場合に、救済する事はできません。セイフティーネットコールセンターの予算の範囲内でやれることは、「調査」や「方針の確定」くらいではないでしょうか。

「精神的自立のための相談」や「社会生活に適応するための訓練」といった「就労以前のケア」に関する予算を確保するためには、その根拠条例が無ければなりません。

以上の点から、「子ども若者支援推進法」に紐づく若者支援条例を制定するよう求めます。

合わせて、「日野市子ども条例」では、切れ目ない支援が保証されません。

日野市子ども条例は、成人するまでの子ども(例外的に20歳まで)を対象としているため、日野市子ども条例だけだと、18歳を超えた事をもって、問題は解決していなくてもケアの対象外となってしまいます。

成人向けにも同じようなプログラムが準備されていて、すんなり引き継げるのであれば問題はありませんが、ほとんどの子ども向けの施策が引き継げる体制にはなっていません。

こうした現実に鑑み、「大人として自立できていない段階にある若者の支援に特化して取り組むための法律が必要」という立場に立ちって立法化されたのが、「子ども若者支援推進法」と言えます。

以上により、「精神的、経済的に自立するまでの間の「切れ目のない支援」を行う施策が重要である」という位置づけを持つ「子ども若者支援推進法」に則り、日野市も国と足並みをそろえて、最低でも30代くらいまではカバーできるような条例の制定が必要です。

 

「条例体系の整備」に関して補足

上位法の法体系を踏襲するならば、日野市の条例は、以下の道筋で整備される事となります。

①まず、「日野市子ども若者支援推進条例」を策定する。

②次に、「日野市子ども条例」の内容を検証し改正する。

その際に、日野市子ども条例の名称についても、子どもの権利条約に合わせて「日野市子どもの権利条例」、あるいは、子ども基本法に合わせて「子ども基本条例」に、改正と同時に改める事を要望する。

③子ども部・教育委員会の管轄する子ども政策の根拠となる既存条例と並列して、「日野市子ども若者支援条例」を並べて置き、その横の条例体系の上位に位置する基本条例として、新しくバージョンアップした「日野市子どもの権利条例」または「日野市子ども基本法」を、子ども政策のトップに据える。

 

 

内戦中のシリアでは、5人の子どもを食べさせていく事ができなくなった母親が、そのうちの一人を、SNSで売りに出す事態まで起きています。子どもの権利条約の採択から35年が経つが、親や国家の意識次第で、一番先に犠牲となるのが子どもの人権や権利である事を表す究極の事例と言えます。

一刻も早く、条例を改正して、それと同時に、「どんなことがあっても、日野市は君たちを見捨てたりはしない」」というメッセージを送ろうではありませんか。

大人の責任として。

 

 

2022年 8月30日 市議会議員 奥野りん子