女性スペースを守れ

市民こそが主人公
あなたを守る社会をつくる
日野市議会議員の【奥野 りん子】です。

日野市議会  「女子トイレの設置、運用に関する請願」

奥野りん子の賛成討論を掲載させて頂きます。

 

「女子トイレの設置、運用に関する請願」について、採択を主張します。                      

男性が女性トイレに侵入して、盗撮やわいせつ行為、生理用品の盗難といった様々な犯罪行為に及ぶ事例が後を絶たない中、社会は、女性トイレを廃止して、男女共用トイレに変更する方向へと舵を切りかえつつあります。

本請願は、男女共用トイレのみとなった場合に、男性使用者と男性不審者の区別が難しい事から、犯罪が多発してしまう事を危惧し提出されたものです。

企画総務委員会においては、「防犯カメラを設置すれば良い。」という意見もありましたが、人目があろうが、覆面を被って堂々と犯行に及んでいる昨今の犯罪状況を考えれば、防犯カメラが犯罪の抑止力にはならない事は明らかです。

よって、管理人のいない状況下で不特定多数の人間が使用する公園のトイレ等において性被害を防ぐには、男性の進入自体をシャットアウトするしかありませんので、項目1の「女性トイレの確保」に関しては、反対する理由がありません。

一方で、項目2の「身体的性別が男性の女子トイレ使用を認めない事」という件に関しては、端的に言うと、男性の性器と生殖腺を持つ人間の使用を制限する事を求めているわけですが、これについても、男性の犯す性犯罪は、男性生殖腺の機能を根源とする性衝動によって、あるいは、その男性性器を用いて引き起こされている現実を踏まえれば、「男性性器、及び、男性生殖腺を持つ身体的男性の女性トイレへの出入りを禁止して欲しい」という要求は、女性として当然の要求と言えます。

以上、本請願は、女性からすれば当然の要望でありますので、採択すべきであるという事を、まず、表明させて頂きます。

然しながら、従来なら即「採択」となるはずの要望が、企画総務委員会においては、自民、公明、共産、維新に至るまで、全委員が反対に回った事によって、不採択となってしまいました。

この異常な現象は、最高裁が本年10月25日に、性同一性障害の方が戸籍上の性別変更を認める5要件のうち、「生殖腺が無い」あるいは「生殖機能を永久に欠く状態」を求める4号要件を違憲とする判断を下した事に起因するものと考えます。

本請願は、最高裁の判断に基づき、性別適合手術を受けないまま戸籍上の性を変更できる余地が生まれた事により、「女性トイレの使用については身体的男性の使用を認めない」とする本請願の趣旨が採択された場合に、トランス女性が女性トイレを使用できなくなってしまうジレンマを内包しています。

しかしながら、請願者は、「経産省のトランス女性職員が女性トイレの使用の自由を求めて起こした裁判」を例に挙げて、「トイレの使用形態については、不特定多数が使用する公園のトイレなのか、職場のような限られた人間関係の中で使用するトイレなのかといった様々な状況に鑑みて、デリケートに対応すれば良いと思っていて、決して、トランスジェンダーの差別を意図して提出した請願ではありません。」とも説明しておられます。

であるならば、本請願を採択するに当たり、何も問題は無いものと考えます。

以下、最高裁判断と、それに基づくその後の法改正について、見解を述べます。

最高裁が、性別変更を認める5要件のうち、「生殖腺が無いか、機能しない事」という4号要件に関して違憲判断を下した事により、今後、身体的性は男性のまま、戸籍上の性を女性に変更できる方向での法改正の議論が始まる模様です。

その場合に、「トランス女子」と「成りすまし」の区別がつきづらくなるため、本請願は、女性を犯罪から守り辛くなる事に対して警鐘を鳴らすために提出されたものと理解しております。

国政においては、ジェンダー平等を主張する政党が、本請願の内容に反対を唱える向きがありますが、そうであれば、女性に対する性被害がこれ以上増えないような対策と提案をもって、法改正の議論に臨むよう求めたいと思います。

本年12月2日にも、「32歳の男性が女性を自認して女湯に入り、面識の無い20代の女性の身体を触ったとして逮捕された」旨、山陰放送で報じられました。「触って逮捕された」くらいでは、全国ネットで報じられる事はありませんが、「侵入した」程度だと、報じられる事すらありません。しかし、侵入自体は既に、あちこちで起きているものと捉えるべきです。

最高裁の15人の裁判官の中には、「公衆浴場での混乱に関しては、事業者によって風紀は保たれており、外見的体裁を整えることを強制しなくとも、混乱が生じる事は極めて稀だと考えられる。」という意見を述べた裁判官もいますが、今現在は、トランス女性が秩序を保っているからこそ混乱が生じていないだけであって、今後、外見的体裁を整える必要が無くなったならば、「成りすまし変質者」が女湯に入る権利を主張しやすくなる環境が整う分、トラブルは増えると考えなければなりません。そして、その進入を制止しようとした事業者が、成りすまし変質者から提訴された場合には、当然の事ながら、事業者の側が負ける事となります。仮に、戸籍が男性だった場合でも、自認する性が女性であれば、戸籍がどうであれ女性ということになるので、女湯に入る権利があるからです。

今現在は、女装した変質者男性が、女湯等の女性スペースに侵入した場合に、本人が「女性だ」と主張したところで、男性性器を持つ以上、変質者として逮捕できますが、今後の国会の動向によっては、こうした犯罪の立件については、困難を極めるのではないでしょうか。そして今後は、「なりすまし」という言葉自体が、「ジェンダー差別だ!」として、バッシング対象となるのではないかと危惧します。

よって、裁判官の先の発言は、「世間知らずで想像力の無い裁判官が鎮座するのが日本の最高裁なのだ」という証左に他なりません。

既に、トランスジェンダリズム、即ち、「性自認」至上主義の国においては、法律や施設や制度は、自己申告ないしは自認による性別に基づいて運用されており、たとえばアメリカでは、「犯罪者として逮捕された男性が、逮捕と同時に女性だと言い出して、女子刑務所に収監される事例が急増し、女性刑務所内におけるレイプ事件まで発生しています。

「自分はレズビアンだ」と主張すれば、興奮対象である女性を前にして、その性欲を満たすために「男性性器が暴発する」という事も、当然、有り得るわけですから、レイプについて裁く事はできても、「女性だと嘘の申告をした」として裁く事はできないわけです。

さらに、性自認のみで性別を変更できるとなれば、体は男性のままで、その時、その時の気持ちによって、男性と女性を行ったり来たりする事も可能となります。先ほどのレイプ犯罪者は、女性刑務所から出たら、すぐに男性に戻る事でしょう。

次に、これもつい最近の事ですが、カナダで、50歳の男性大学教授が、「自分は13歳の女性である」と主張して、「8歳から16歳の女子を対象とした水泳大会」に出場したのみならず、「更衣室で少女たちの前で水着に着替える」という事件が起きましたが、保護者が警察を呼んだものの、警察は、事件として取り合わなかったと報じられています。

この例のように、本人の性自認による性別変更を、権利として認めた場合に、年齢についても、「本人が自認する年齢を認めないのは不公平だ」となり、「認めないのは人権侵害だ」という所にまで突き進みかねません。

今後、性自認のみで戸籍上の性を変更できる方向へと法改正を進めていったならば、社会的秩序は、間違いなく崩壊の一途を辿るものと推察されます。

よって、社会秩序を保つために個人の権利が制限される事については、公共の福祉を守る観点から容認されるべきであり、国政政党には、ジェンダー平等の議論抜きに、LGBTの人権に特化した狭い議論をしないよう求めたいと思います。

さらに、生物学的側面からも述べたいと思います。

女性は、体格や体力面において男性より脆弱であり、かつ、月経があり、妊娠する性である事から、その生物学的な性差による不利益を被らないためにも、女性の「生物学的性」に基づく権利の尊重こそが、必要不可欠です。

この考え方に基づき、女用トイレや女湯、脱衣所や更衣室、シェルターや避難施設に関しては男性が入れないように、女性専用スペースが確保されてきたわけですが、今後、最高裁の違憲判決に基づき、「生物学的には男性のままの女性」が誕生する事になれば、逆に、これまで培ってきた女性の権利が、根底から覆されてしまう事になりかねません。

スポーツ競技の世界では、女性は筋肉量や骨格において、男性よりも劣るにも関わらず、既に、多くの国際大会において、性別適合手術をしなくても女子選手として出場する事が認められています。

アメリカでは、公立学校においても、性自認に基づいた性別が適応されるため、女子高校生たちは、奨学金をもらって進学したくても、男性の肉体を持つトランスジェンダー選手と競わなければなりません。また、トランスジェンダー選手と競う事による女性アスリートの怪我や事故も、当然の事ながら増えています。

海外のこうした状況を踏まえれば、「性自認によって性別を決定できる方向での法改正」に関しては、トランス女性の権利を守っているかのように見えて、実は、女性の権利を貶め、差別を助長しているのが、性自認至上主義と言えます。

性別適合手術を受けずに性別を変更する道筋は、「性自認至上主義」へと発展する恐れと余地を残している以上、戸籍上の性別は、あくまでも、生物学的範疇の区別に固定化し、これを基本とし、観念的な判断の折衷に関して排除すべきであると考えます。

最高裁は、戸籍の性別変更に当たり生物学的性を変える事について、トランスジェンダー本人の手術による苦痛とダメージのみに焦点を当てて、「侵襲性の強い義務を、トランスジェンダーのみに押し付ける事は権利侵害につき違憲」と、単純に判断したわけですが、この問題に関しては、生物学的性を変えるか変えないかという一点に固執して議論する事は、大変危険だと思います。

そもそもジェンダーとは、「社会的、文化的な価値観によって押し付けられた性」を意味します。「男らしく」というジェンダーバイアスに男性だって苦しんでいるというのに、ましてや、心は女性となれば、耐えられるわけがありません。心は女性の皆さんは、男性の社会的役割、生き方を押し付けられるからこそ、「心と体の性の不一致」に悩むわけです。社会が、「心が女性である男性」の存在をしっかりと認め、受け入れるジェンダーフリーの社会であれば、その心理的負担は和らぐのではないでしょうか?まずは、ジェンダーフリーに関する議論を徹底的に行い、社会が作り出した性差を無くすべきです。

また、適合手術を受けて性別を変更した事によって「これでやっと結婚ができる。」と語ったトランスジェンダーもおられるわけですが、それに関しても、同性婚が認められれば、痛い思いなどしなくても良くなるわけです。

さらに、最高裁が適合手術を違憲だと判断した事によって、今後、性同一性を獲得するために身体的性を変えたい方が手術に臨むにあたり、「憲法違反に当たるような侵襲性の高い手術を医療的に認めるべきではない」という声に押されて、受けられなくなっていく危険性もあります。

国会においては、「生物学的な領域で区分されるべき性」を、戸籍上において、「自認による性」に置き換えるような乱暴な議論をするのではなく、トランスジェンダーが生きていく上で、何が障害となっていて、その障害を取り除くためには、どのような環境と支援が必要なのかについて、しっかりと論議するよう求めたいと思います。

その上で、性同一性障害の方においては、身体的性の変更を望むのであれば、その適用を認めれば良いと思いますし、身体的変化を望まない方については、性に関しても、パートナーシップ制度のような社会的認知制度を創設すれば良いのではないかと思います。「戸籍上の性は男性だけれど、社会的性は女性である」という事を公的に認証し、施設や法律は、女性と認知された上で適用される制度を制定する事も、解決策の一つと考えます。

女性スペースを守る運動に関しては、トランスジェンダーに対する差別だとか、ヘイトだとして、ネット上でバッシングする向きがありますが、多くの女性の願いである女性スペースの確保については、決してトランスジェンダー差別には当たらないという事も強調した上で、本請願の採択を主張させて頂きます。