2、二人の元副市長の動向をベースにした経緯【2人の元副市長(河内氏・堀之内氏)による川辺堀之内区画整理事業の「私物化」の解明】

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日野市議会議員の【奥野 りん子】です。

第1ステージ 河内副市長と堀之内企画部長の主導で区画整理組合を設立

日野都市計画道路3・3・2号線(国道20号日野バイパス延伸部)の工事は、「日野市と八王子市の自民党議員団が国会要請を行ったことによって(組合第5回総会議事録における石本区画整理課長の発言より抜粋)」、平成17年に国の事業認可を受けた。当時、衆議院議員だった小川友一氏が、「ここでやっと、念願の川辺堀之内に3・3・2号線を通すための事業認可が下りました。土地を買うなら今のうちですよ。」と、ある経済団体の新年会で発言したことも、私自身よく覚えている。

この事業認可をうけて、道路予定地の土地を空けるために、区画整理を同時に行おうとした訳だが、当時、日野市は市施工の区画整理事業を複数抱えており、新たな事業まで手を回す余裕がなかった。そこに目をつけ、地権者に区画整理組合を作らせる組合施工方式で事業を進めることを画策したのが、都市整備部長(現在のまちづくり部長)や企画部長を歴任し、区画整理に精通していた副市長の河内氏であった。事業認可を受けるやいなや、日野市区画整理課の職員が地域の地権者を説得に回り、翌年11月には、第一回組合設立準備会が立ち上がっている。そして、区画整理組合設立まで日野市が務めていた「設立準備会事務局(以下、“日野市事務局”)」のトップが、河内氏の部下だった堀之内企画部長だったのだ。

第2ステージ 堀之内氏が区画整理組合と「企業公社」との契約を指導

設立された区画整理組合は“日野市事務局”により、事業の進行管理を(株)日野市企業公社(以下、企業公社)に委託する契約を結ぶよう促されている。令和元年6月市議会での、宮田まちづくり部長の答弁によれば、「“日野市事務局”が、川辺堀之内区画整理事業の進行管理を企業公社に委託することを馬場元市長に進言し、その了解を得て、組合に特命随意契約を指導した」ことになっている。その“日野市事務局”と企業公社のいずれをも管轄していたのが堀之内企画部長であり、さらに、区画整理事業において大きな財源となる「公管金担当」の肩書も兼務していた。こうした関係を整理すると、“日野市事務局”の指導とは、堀之内氏の指導に他ならないのである。

もちろん、堀之内氏が区画整理組合と企業公社との契約を誘導したのには理由がある。実は企業公社には事業を進行管理する実務能力はなく、その業務全般を(株)オオバに委託契約している。一般的に市施工の区画整理事業では、都市づくり公社に進行管理を委託し、市は公社の業務を点検している。一方で、区画整理組合に企業公社と委託契約をさせることにより、企業公社に委託された(株)オオバが進行管理をやり、その業務を企業公社が点検するという構図になった訳である。簡単に言えば、この事業の進行管理から日野市当局の監視を遠ざけたというのが、事の本質なのである。

第3ステージ 堀之内氏が企業公社の「社長」に就任し区画整理組合を牽引

こうして、“日野市事務局”から指導された区画整理組合は、平成19年3月28日に企業公社との契約を決定したのだが、なんと驚くべきことに、その3日後に、堀之内氏が日野市を退職して企業公社社長に就任していたのである。そして、区画整理組合が正式に設立された平成21年以降、堀之内氏の元上司であった河内氏が、理事長相談役として区画整理組合に乗り込んでくる平成24年まで、この事業は堀之内氏が牽引することになる。それは同時に、区画整理組合の会計から両氏の懐に資金が還流し始めたことを意味している。組合設立の翌年、平成22年に企業公社に委託されていた「道路築造工事を監督する業務」が、企業公社社長である堀之内氏が個人として受注する形に契約変更された。この堀之内氏への委託料は数百万円程度であったが、2年後に区画整理組合の理事長相談役に就任した河内氏は、自分で自分に出来高払いの委託契約を発注し、その委託料は、いきなり3000万円もの高額な設定となっている。一見すると、堀之内氏が業務の個人委託契約というシステムを作り、河内氏がそれを最大限に悪用した格好に見える。しかし、日野市の区画整理を30年近くにわたり仕切り、秘密主義のスタイルを構築したのは河内氏であり、堀之内氏はずっとその片腕だったことを鑑みれば、このシステムの導入も河内氏主導だったのではないだろうか。

第4ステージ  河内氏が区画整理組合の「組合理事長相談役」に就任 

平成24年3月6日区画整理組合の理事会において、堀之内氏から、業務推進体制の強化を目的として、「理事長相談役」を置き、そのポストに河内氏を推薦する旨の提案があり、承認された。これを受けて、同年5月1日に河内氏が理事長相談役に就任する。実は河内氏は、平成21年に任期満了で副市長を退任したのち、日野市立病院に病院経営専門監という役職をつくり天下っていたのだが、平成24年4月に、今度は院長相談役というポストをつくり、日野市の臨時職員という形で雇用されていた。これが問題となっている「河内氏の違法兼業問題」である(公務員の兼業は禁止されているため、現在、私と同僚議員の有賀氏で裁判をおこし係争中である)。

ここで見過ごせないのが、その前年の平成23年に行われた庶務規定の変更である。この際に、組合理事者の諸手当の待遇改善がされているが、特徴的なのは職員の待遇を「公務員並み」と規定したことである。河内氏は当時勤務していた日野市立病院からも月に約100時間分を超える莫大な時間外手当を受け取っていたのだが(実はその勤務実態が不明で、この手当の受給自体が不当である)、この規定の変更により理事長相談役に就任した途端に、市立病院から受け取っていた手当と同程度の報酬を受け取ることができている。

第三者委員会の資料によれば、河内氏は理事長相談役として諸手当を受け取りながら、区画整理組合がたった1人雇用している「職員」としても報酬を受け取り、かつ、区画整理組合との間で個人契約した「業務推進のための業務」の委託料も受け取っていたことがわかっている。個人契約の委託料の方は出来高払いで、日野市の助成金が増額されるたびに連動して年々増額されていった。

もうひとつ、同じ平成23年には、「保留地処分規定」の決定が行われているが、その内容は保留地処分について「随意契約」で「一括販売できる」という不可解なものとなっていた。どうして、あえて自由競争による土地の処分を行わないのか、当時の議事録にはその理由に関する具体的な記載は無い。また、当時の「工事請負規定」は、既に公共事業において最も談合のやりやすい「指名競争入札」が採用されていたが、河内氏は理事長相談役に就任すると早々に、この工事請負規定を変更し、「予定価格の事前公表」を取り入れ、より談合しやすい環境を整備してしまった。

ここまでの経過をみると、当初は堀之内氏が、そして後に河内氏が、それぞれ区画整理組合を牽引して、自らに都合の良いような契約内容の変更、報酬規定の変更をおこなっていったことがよく分かる。また、保留地処分に関して、企業間の健全な自由競争を損なうような不可解な規定変更も進めており、企業と癒着を疑われても仕方がないだろう。かなり計画性をもって進められていたと考えられるが、やはり、日野市の副市長と部長というもともとの上下関係からすれば、当初より司令塔は河内氏であったということは疑う余地がない。

第5ステージ 堀之内氏が「副市長」に転身 

平成25年4月に馬場弘融氏からバトンタッチした大坪冬彦氏が日野市長に就任した。12年間にわたり副市長職に身を置いた河内氏からすれば、もともと部長職にあった大坪氏は、堀之内氏と同様に元部下にあたる。当然の事ながら、御しやすい関係性にあったこの新市長の誕生が、河内氏の組合私物化を一気に加速させてしまう事となる。

その一端が、同年6月4日に企業公社社長だった堀之内氏が副市長に就任したことである。私はこの人事に関し、河内氏によって送り込まれたものと疑っている。なぜなら、その直後にあたる7月の組合総会において河内氏は、保留地処分について「いずれ擁壁を作っていく」と発言しているのである。後述するように、その後、堀之内氏主導で日野市の助成要綱が改正され、擁壁工事が日野市の助成金対象となっているのだ。

大坪体制となった当時の理事者の顔ぶれを見れば、区画整理に精通した人間がおらず、助成要綱の改正に関しては、河内氏や堀之内氏に代わり自信をもって決裁印を押せる人物が存在しなかった。河内氏が、堀之内氏を副市長として送り込んだ理由はそこにある。強引だったと思われる河内氏からの人事提案を、大坪市長が受け入れた理由も同様である。

第6ステージ 堀之内副市長が日野市の助成要綱を2度にわたり改正

堀之内副市長は川辺堀之内の区画整理事業に有利になるような助成要綱の改正を少なくとも2度おこなっている。結果として区画整理組合のうけとる助成金が増額されるのだが、その度に「見返り」とばかりに、河内氏の個人委託料は増額され、ついには当初の3000万円から8000万円まで跳ね上がることとなる。

1度目の改正 平成26年4月1日に、「日野市 組合施工 区画整理 助成要綱」にある「幅6メートル以上の道路築造に助成」の項目から「幅6メートル以上」の文言を削除する改正が、3000万円の予算措置をつけて行われた。川辺堀之内の事業計画は、区域内の生活道路の9割を幅員5メートルで築造する設計となっていたため、この要綱改正によって助成金の対象となる道路は、当初の55.1%から97.3%にまで拡大された。昔ながらの赤道(農道)や矮小道路を、消防車が入り込める広さに拡張する事こそが、区画整理に公金を投入する目的であるにも関わらず、2項該当道路(車のすれ違うことができない4メートル以下の道路)までも助成金の対象となったため、区画整理組合はこうした2項該当道路の工事までやり尽くす方向で事業計画の変更を行った。そして、この要綱改正に紐づけられた3000万円の予算は、そっくりそのまま川辺堀之内区画整理組合への助成金に回されているのである。要するにこれは、川辺堀之内区画整理事業のための改正で、この見返りとばかりに、河内氏の出来高払いの個人委託料は、3000万円から5800万円に跳ね上がることとなる。

2度目の改正 「日野市 組合施工 区画整理 助成要綱」の助成対象項目は、「道路築造」「公共施設」のみであったが、「宅地造成」「整地工事」「擁壁築造」「その他施設」を追加する改正を、平成28年11月28日に行っている。日野市は要綱改正の理由について、「民間施工の区画整理は、地域により条件が異なるため、良好な保留地の造成のために良かれという判断のもと、民間組合を支援する目的をもって要綱改正を行った」としている。しかし、川辺堀之内地域について言えば、「擁壁を整備してでも保留地を作って売らなければ、事業が成り立たない」という状況にはない。売却可能な土地が十分にある好条件をもつ川辺堀之内であれば、助成金なしでも十分に賄えたはずなのである。しかし現実は、この要綱改正によって保留地の造成費用に関しては助成金をつかい安く抑えることに成功する一方で、保留地の処分(=売却)に関しては、ディベロッパーに一括販売して黒字を上げているのみならず、「周辺地域より価格を下げて随意契約で売る」と組合総会において表明するなど、全くもって不可思議な運用をしている。河内氏は、保留地処分金の価格を低く見積もっている理由について、「整地や擁壁など、宅地造成にかかる諸費用込みで、一括購入してもらうため」と、組合員に説明しているが、実際は「整地工事」「擁壁築造」「宅地造成」は助成金の対象であり、この説明には偽りがある。どうして企業が利益を得て、組合員は不利益を被るような保留地の処分をおこなったのかについては、合理的な説明などできるはずもないのである。この要綱改正と同時に、河内氏の個人委託料は、一気に8000万円まで跳ね上がった。

第7ステージ 副市長を退任した堀之内氏にも「兼業疑惑」

平成29年6月4日に堀之内氏は日野市副市長を退任し、その後、再び区画整理組合との個人委託契約を結んだと見られる。第三者委員会がおこなった河内氏に関する調査のなかで、区画整理組合から提出された資料のなかに、支払先として堀之内氏の名前もあることを、日野市も認めている。しかし、未だにその資料を市は出さないため、「見られる」という書き方に止めた。

第三者委員会は「区画整理組合が提出した資料の中に、平成26年から平成29年までの契約書は存在しなかった」と報告している。河内氏や堀之内氏の指示で隠していると思われるが、その4年間の分だけをすっぽり隠した理由は何だろうか。実は、この時期は堀之内氏が副市長だった時期と重なっている。そして、もう一つ怪しいのは、もともと堀之内氏が区画整理組合から個人で受託していた道路築造の進行管理については、堀之内氏が副市長に就任した後も、企業公社との契約に戻されてはいないということだ。堀之内氏が企業公社社長から副市長に席を移してからの4年間の契約は、誰と交わしたのかが不明なのである。もし、堀之内氏が副市長の在任中に、区画整理組合からも報酬を受け取っていたとすると、公務員の兼業禁止に抵触するし、都市計画担当の副市長として利害関係のある相手から報酬を受け取っていたことになるのである。区画整理組合には、疑惑解明のために、この期間の契約書を包み隠さず提出する義務があるだけでなく、河内氏が隠蔽したというのであれば、刑事告発をすべきである。

私と同僚議員の有賀氏が、「河内氏の違法兼業問題」を暴いたことから、河内氏の区画整理組合の私物化の実態を告発するところまで辿り着いたわけだが、ここで堀之内氏についても副市長時代に委託料を受け取っていたという事になれば、日野市の元副市長が二人も違法な兼業に従事していたという前代未聞の事件となるのである。

第8ステージ 第三者委員会が違法を指摘

平成31年3月市議会最終日に、私と有賀氏の両議員で区画整理組合から2076万円の委託料を受け取っていることも示した上で、河内氏の地方公務員法違反の雇用実態を調査し解明するための百条委員会を設置する動議を提出した。ところが、唯一の野党である共産党でさえ、「河内氏の雇用が継続されたことは違法ではない」と論点を意図的にずらす反対討論をして、与党と共にこれを否決した。代わりに彼らは、違法性の免れない「兼業」のみをそこからピックアップし、「市立病院内ハラスメントへの関与」をプラスして、その解明について「市長に任せる」決議を上げた。その決議を受けて市長が招集した第三者委員会が半年かけて調査した結果が出てきたが、その内容は私たちの調査を裏付けるものであった。市議会議員である私たちには情報公開を拒否した資料も第三者委員会には公開されており、その報告書を読むと、想像以上に河内氏の闇は深い事が明らかとなった。議員の調査権を拒否さえしなければ、こんなにも深刻な闇にはならなかったであろう。

第三者委員会でさらに解明された点は、病院も含めて以下の通り。

〇病院会計から、基本給とは別に、「土日祝日出勤した場合にその出動時間に関わらず日当6万円」という契約が成され、こっそりと支払われていた。

(土日にある区画整理組合の理事会に出席する日は、必ず、病院にも寄ってタイムカードを押し、病院からも休日出勤手当をもらっていたが、そのタイムカードを押しさえすれば、別建てで6万円も貰えていたという事)

〇高額な報酬にかかる税負担に対して補填することを決め、組合会計から「特別損失補償」を行い、そ

の保証金の受け取りに際し、役員に対して「公共事業投資産の資産買取り等証明書」を発行していた。

〇組合事業費から組合互助会へ、多額の助成金を支出し、商品券を購入し配布していた。

(河内氏が理事者を務めた地元多摩市で完了した区画整理組合の地権者から、「商品券を受け取ってしまったために口封じされてしまった。」という声が、私の元に届いており、日野市でも同じ手法を用いた疑いがある)

〇組合内における重要な意思決定は、理事会において行われているが、その前段階として、「理事監事協議会」という、議事録に残さない秘密会議を開いて決定していた。この、議論の経緯のわからない「秘密主義」は、日野市の区画整理の伝統であり、河内氏が作り上げた手法ともいえる。

この「議事録を残さない」理由について、河内氏は、「東京都の指導である」と回答。彼は、「保留地を随意契約で安く売る」などの、区画整理事業においてあり得ない手法については、全て、「東京都の指導」と説明している。

 

(続きはこちら)→ 3、組合の総会議事録をベースにした経緯

 

 

【2人の元副市長(河内氏・堀之内氏)による川辺堀之内区画整理事業の「私物化」の解明】

1.川辺堀之内区画整理事業と「私物化疑惑」の概要

2、二人の元副市長の動向をベースにした経緯

3、組合の総会議事録をベースにした経緯

4、会計の中身の問題点について