河内元副市長が、「臨時職員として雇用されるに至った不透明な経緯」と「日額6万円のという違法な報酬が発生した経緯」に関して、日野市が 第三者委員会に提出した証拠資料に基づき、検証する。 

第三者委員会が行った関係者へのヒアリングには、以下の役職が黒塗り名で登場する。ここでは、識別しやすいよう、イニシャルに変更してお伝えする。

市長   日野市立病院の設置者 経営・人事に関する最高責任者

副市長  事務長の直属の上司 事務長がお伺いを立てる相手は市長ではなく副市長

院長   日野市立病院の医療現場の責任者、事務分野の領域にはタッチしていない。

事務長  日野市立病院の事務部門の統括責任者 職員給与も、その総額について決裁する。

総務課長 給与の支給に関する責任者 個々の職員の給与を確定し、支払う責任がある。

(1)「ヒアリング」をベースにして、経緯を振り返る。

平成24年、4月1日 市立病院との間で、週3日・月収28万円の臨時職員として雇用契約。

この、週3日28時間というランクは、部長職が再任用として契約する際のランク。

契約後、「院長代行」と呼ぶよう職員に迫るが、そちらは浸透せず、院長の承認のもと、「院長相談役」という条例に根拠のない役職名を名乗るようになった。

 

日額給だけでなく、この臨時職員として雇用契約に至る経緯にも、不可解な点がある。

通常は、庁内の回議書において、この人物を、この期間、こういう任務に宛てたいので、了承を求め、了承されたら、雇用確認書(民間で言うところの契約書)において、本人と日野市との契約を結ぶことになるが、河内氏の雇用契約は、経営専門監の任務満了日に、日野市との間で交わされている。

即ち、「河内氏は、その一日に関して、経営専門監でもあり、臨時職員でもあった」という事にあるのである。そして、その雇用契約の前に、お伺いを立てなければならない回議書の方が、その翌日に作成されている。極めてイレギュラーであり、コンプライアンスが命の行政としては、あり得ない事である。

(後述の当事者ヒアリングにおいて、K事務長の証言により、この頃、河内続投の指令が、いつまでたってもトップから届かず、そうかと言って、院長は、河内続投を望んでいる以上、臨時職員への契約更新は、既に決まった事と思い込んでいたものと推察できる。よって、病院側は、手続きをしなければ間に合わないと、ドタバタしていたことが、手続きの乱れの原因であるという事がわかる。)

 

河内氏は、就任早々から、週3日の契約だが、実働は週5日となっていることを主張し、不足分を支給するよう病院側に要求。年度途中から、「単価3000円、時間外は合計80時間まで」に変更された。

医療現場では、医師の個人委託契約というシステムを取っているのだから、自分も委託契約に変更するよう河内氏から要求があり、日野市がこれを拒否するというやりとりを経て、25年1月分から、時間外勤務手当(80時間分)を無くし、その代わりとして、週3日・28時間勤務という臨時職員としての契約以外に、日当6万円の別契約を取り交わした。

これによって、「1人の人間に源泉徴収が二つ」というイレギュラー状態となった。

 

K事務局長(当時)が、小川副市長(当時)に、河内氏の日額給に関して判断を仰いだ際に、小川元副市長は、「俺の年収よりも高くなっては困る」(ヒアリング原文)として、最後まで反対している。

また、事務手続き上において、決裁権者はK事務長、支給に関する責任者はN病院総務課長ということになるが、ヒアリングの上では、日額給の支払いに関して賛成している人間も、自分が決裁したという自覚がある人間も、一人もいない。

にもかかわらず、この日額給の支給は開始された。

 

支給が開始した25年1月から、臨時職員の賃金に関しては庁内職員課から振り込まれ、日額6万円分に関しては、病院総務課で給与袋を作成し、封筒入りの現金として手渡されていた。

N総務課長から引き継いだT病院総務課長(当時)は、「26年ころ、日野市から、決裁印の欄に押印しないよう指示された。」と、回答している。(←日野市はその頃(=支給1年後)には、違法性を認識していたことが窺える。)

 

河内氏は、「特命事項が目的達成なら、コンサルタント契約への変更を」と、依頼しているが、27年度の契約期限が迫っていたので(臨時職員のままで)サインした。」と回答している。区画整理組合のように、出来高払いのコンサルタント契約につなげたかった模様。裏を返せば、日野市との契約を、出来高払いとならなかったからこそ、向島保育園の「仲介料」ともとれる不透明な支払いが発生したと、推察できる。

市長特命事項では、たかはた保育園(=移転先が向島保育園)の移転(が解決した事)で、市長がわざわざ病院に来て、お礼を言われた。」と河内氏は答えている。日額6万円の支給に関して、市長は、「自分の認識の外で行われた事」と回答しているが、河内氏のこの証言が真実であった場合に、市長は、違法な報酬を彼に支払っている事は認識していなかったにもかかわらず、自分がその成果物を受け取っている事自体を、ちゃんと実感していた事になる。

 

K院長(当時)は、「(公営企業法の」一部適用の病院なので、(院長は)給与を定める立場にはない。

日野市として決めるという認識である。金額のことは関与してない。」と証言。しかし、「慶応大学病院の総意」とも言えるこのK院長の思いが、市長にとってのアキレス腱であることを、河内氏が最大限利用して、本庁抜きに、「院長の意思=市長の意思」であるという風に、病院内部をコントロールし、意思統一していった形跡が、当事者ヒアリングや、河内メモから窺える。(河内メモの詳細は後述)

 

(2)当事者ヒアリングにおける重要部分の抜粋

ヒアリング内容を抜粋して掲載するにあたって、以下の通り、省略させて頂く。
Q=第三者委員会からの質問事項
〇=ヒアリング本人の回答
△=上の発言をどう見るか、奥野から補足
ヒアリング1,経営専門監から臨時職員にスライドした際の状況に関して

馬場元市長 

Q河内氏は必要だったのか?

〇「24年の経営専門鑑への就任の時には、既に病院の立て直しは終わっていた。」←馬場氏には、河内氏を遺留する気持ちは、それほど無かったということがわかる。

△一方で河内氏は、病院経営専門監時代からその任に当たってきた、「区画整理」や「保育園の移転問題」について、馬場市長から、「特命事項」として、引き続き取り組んで欲しいと依頼されていたと、主張している。そして日額6万円は、その「特命事項」の任務に対して支払われるべき当然の報酬であるとしている。

もし、馬場市長に、「区画整理も手伝わせたい」という意図があったのであれば、臨時職員ではなく、「病院、及び、組合経営専門鑑」という役職を与えていたはず。 ←市長は、それができる立場にあるにも関わらず、「契約書を残さないで支給する」という危ない橋を渡る必要があっただろうか?

小川元副市長

Q河内氏が臨時職員として継続する際にはどのような役割を果たしたのか

〇河内氏を臨時雇いするにあたっては、何も決済が回ってこなかったので、当時の事務長に聞いたら、院長決済だと言っていた。

〇自分が副市長になって1年未満の時期(←時期的に、専門監就任の話)に、熊井院長に、「河内氏には辞めてもらいたい」と言ったら、熊井院長から、「話が違う」と言われたことがある。熊井院長から河内氏を残してもらえないだろうかという相談が市長にあったようだ。

〇院長相談役として臨時雇いするかどうかで相談に来ていた事務長に対して、「ダメだと言ったら、院長は院長を辞めると(いう)言動に出るか?」と聞いたら、「そうなるかもしれない。熊井先生は、(院長続投への)執着は、無いようだ」との回答を受けた。辞められると、市長の意向(熊井院長の続投)に沿えないとの思いがあり、了承はしたのだと思う。その時に、専決は院長にあると確認したと思う。(確信はない) 市長に説明、了承を取った記憶が無い。

大坪 市長

〇病院経営において功績はあれどマイナス面もあるので、市長就任時から辞めて頂きたいと思っていた。

熊井 元院長 (河内氏の病院経営専門監の任期満了後の残留を、馬場市長に要請)

〇市長との定期的な協議の場で、その後も(河内氏の続投に関して)、支援は得られないかという話はした。要望した後は、市で判断した事ではないか。

〇給与に関して相談をしたのは、経営専門監から院長相談役になる時だけだったと思う。そのことも、職員課と相談して決めたことなのかは、定かではない。

井上 現院長 (25年4月1日より就任し、現在に至る。)

〇馬場市長や大坪市長には、院長相談役ではなく、経営専門監にできないかと相談した。「専門監は、一度延長しているから無理だ」と言われた。

K 事務長河内氏が臨時職員にスイッチした当時から日額給がスタートする直前の25年1月末まで在任)

Q河内氏の臨時職員として採用に関して知っていることは?(以下、Qは、第三者委員会からの質問)

〇「市長代行であった方の雇用について、一般の部長が決定する事は、通念上もない。24年の1月から3月にかけて、継続的な雇用ができないかという話が、河内氏や院長からあったので、当時の小川副市長に相談に行った。肯定も否定もなく、そこは既に、認められている話と推測された。自分は決定する場にはいないのでわからない。」

日野市には、東京都のような特別参与が、条例上無い。一部適用の範囲でやるとしたら、臨時職員という形しかない。市長も院長も河内氏を断ち切るという動きでは無かったので、「継続するのであれば、これしかないですね」という事で、ぎりぎりで、職員課と総務の合議を取ったという流れだと記憶している。

副市長との調整は私(←事務長の直属の上司は副市長)、そして、職員課との連絡係はN参事。

(以上から、「副市長からの明確な指示は無いものの、既に決まった事という雰囲気を感じ取った(=忖度)K事務長は、臨時職員への雇い替えを決裁すると同時に、河内氏続投の方向で、雇用形態や待遇をどうするか、職員課との間で調整するよう、N課長に指示を出した」という事がわかる。)

Q周3日となった事への関与は?

〇(職員課やトップに対して)病院側から、いくらと言える状況ではないので、こちらから提案したわけでは無い。副市長との話の中で、再任用と臨時職員とのバランスを取るという事で、週3日という条件が出た。職員課にも立ち寄り、(その方向で)調整して頂いた。

Q臨時職員 雇用確認書には、「勤務の内容 別紙のとおり」とあるが、業務の内容は把握していたか?

河内氏が、市長と話しているようであった。←注

注↑ 「河内氏という元副市長、市長代行まで務めた人間の待遇に関しては、市長と市長代行の間で決めるべきこと」というのが、当時の病院内での常識であったという事がわかる。

雇用確認書を作成する際に、勤務内容について明確にする必要があるが、河内氏の場合は、「市長特命事項=病院以外の任務も含む」も含んでおり、雇用確認書に、病院の臨時職員の雇用理由としては不適切なその内容を書き込むわけにはいかないため、別紙扱いしたと考えられる。しかし、「別紙参照」としながら、その別紙自体が行方不明。初めから作成していない可能性あり。存在しないが故に、その内容についても不明。

N 総務課長、(参事=部長待遇も兼務)(院長相談役になる時点、日額給が支払われる時点に関与)

Q院長相談役に変更するに伴い、臨時職員として雇用するための賃金報酬決定に関与していたか?

〇事務長から、週3日で契約する場合、いくらが妥当か調べるよう指示があった。参与条例が無かったので、日野市の非常勤特別職の条例上、教育委員(月一回の会議に参加)の報酬月額が15万円弱。

週1~2日勤務で30万円弱くらいが、上限として妥当と報告した。

Q病院だけで決める話ではなく、職員課とも相談したのか?

上限はいくらかが妥当かについては、職員課や教育委員会に相談したが、理事者への説明などの対応は、事務長がした。

 

ヒアリング2,「残業代80時間」の代わりに「日額給6万円」が支給された経緯に関して

馬場元市長

〇市長が、個々の職員の給与において、多い少ないと評価することは無い。

小川 元副市長

〇日額6万円の報酬についてはN参事(N総務課長は、参事=部長待遇でもあった)からの相談。臨時職員に時間外勤務はさせないのが一般的。勤務日が3日から5日への変更と給与が2倍となる事について、了承した記憶はない。

熊井 前院長

給与に関して相談をしたのは、経営専門監から院長相談役になる時だけだったと思う。

井上 院長 

〇臨時職員の時間外の決済は、院長には回ってこなかったので、当初は把握できていなかった。河内氏の勤怠は、会議で会うくらいで把握できていなかった。

〇100時間を超えて、医師なみの時間外勤務であるから、院長が関与する事になった。

Q「25年1月に賃金報酬の見直しの協議は行われたか?」→「記憶にない。」

〇「25年4月に、院長に就任した際に、河内氏の賃金報酬は確認したか?」→具体的な金額は知らない。認識したのは27年ころ。

△N氏の後任として総務課長の任に当たったT病院総務課長の証言によれば、本庁が違法性に気がついたのが「26年ころ」なので、その後、院長も含めて、対応について協議したものと思われる。

K元事務長

〇河内氏が残業をしていたという記憶はない。

Q資料9―②(=河内メモ② 週3日28万以外に、残る週2日分の対価を日当6万円としたい旨、事務長名で院長にお伺いを立てている文書)に関して、「これは、あなたが書いたものか?」

〇この紙自体の記憶が無い。話の後に作成したものではないか。「1か月28万円を変更するな」と、(副市長から)言われていたので、市長、副市長、院長に伝えることが食い違うと、定例会の場でわかってしまう。大きな嘘をつくと自分の首を絞めることになるので、事務長の立場としては、そんなことはしない。

Q「なお、病院以外の業務に関しては、日野市立病院として対価を支払う義務はありませんので、一切考慮しません。」とは?

〇(自分は書いた覚えはないが、)区画整理や保育園の業務と考えられる。しかし、(自分なら)院長様とは書かない。病院内にいて、わざわざ、病院外の事項に対して、「支払いをしない」とは書かない。不自然。文章の書き方・文脈が、自分のものとは違う。

Q「25年1月から、日当6万円も発生し、賃金の支払い方が変わってきているが?」

〇「自分は2月1日に移動した。その前の分であれば、自分がハンコを推したという事になる。」

△「臨職は後払い」である事を考えれば、1月分の決済は2月以降となるので、2月1日付で移動した人間には、押印できないはず。)

Q「日当6万円は、院長自身には決められない案件か?」

(院長から)市長に(相談)しなければならない話。

△「副市長=事務長の上司は、明確にNOと意思表示している」、「市長との間で契約が成立したことを示す回議書や雇用確認書が存在しない。」状況は、本庁側には、河内氏を雇用するニーズは無かった事を示す。一方で、病院側には、「できれば続投して欲しい」というニーズが、院長にあった。しかし、院長には、人事に関する決裁権は無い。一方で、市長には、「院長に辞任されては困る」という心配があった。こうした状況を逆手にとって、河内氏は、「院長に河内続投の思いがあれば、それは即ち、市長や副市長も同意しているという事」と、当時、本庁との行き来の無かった病因側の関係者(事務長、総務課長)に、思い込ませるために、河内メモを作成したと考えられる。その方向で総務課長を騙して、最終的に、日額6万円の支給に押印させた疑いが濃厚である。

公務員の通常の給与以外として、明細の乙欄、丙欄、または、支払調書などで支給する事が可能かどうか、河内氏から相談を受け、一般論ではあり得る話だが、実際には、雇上げの条文が無いので、それはできないという話をした記憶がある。(←決裁者が誰であれ、表ざたにならない違法のすり抜け方について、河内氏主導で、推し進められたことがわかる。)

M 事務長 (25年2月に着任したK事務長の後任)

Q日額給に関して、どのように認識しているか? 

〇契約は、週3日。その他にも勤務があるので、それに応じて支払いをしていると聞いていた。実態に合っていないので、自分の時に、週5日に変更した。契約変更の度に増額要求があったので、院長に相談しながら、看護師の給与なども参考にしながら対応した。基本的に、河内氏の給与は、院長と相談しながら院内で決めていた。

〇甲欄、乙蘭あって、別建てがあるとは引き継ぎ時に聞いていた。(注)

なんでそうなったのかは聞いていない。いびつな雇用状態と認識し、早く是正しなければと考えていた。

28万円という数字は、小川副市長からの指示で、それ以上出せないという話は聞いていた。

(注)「別建てがあるとは引き継ぎ時に聞いていた」とあるが、誰から何時、引き継いだことになるのか?もし、前任のK自事務長であれば、決裁はK事務長という事になるが、K事務長にしても、N総務課長にいても、既に、市長と河内氏の間で、裏決裁が済んでいるものと、思い込まされている節がある。この場合に、「詐欺的手法による契約」と言えるのではないか?)

 Q報酬アップは、病院内のみの決定で、本庁は関与していないのか?

〇「本来は、地方公営企業法の一部適用なので、本庁側がコントロールするべき事項だが、労働安全管理や、研修なども別で、一線を引いていた認識。市はあまり、来なかったので、何も病院の事情を知らなかったと思う。(注) 経営指標については、副市長との定例会議をやっていたが、人事、給与の細かい事項は、話し合われていない。

△河内氏は、本庁に知られないように画策していた節が、院内ハラスメント対策委員会の会議録からも伺われるが、自分の王国である病院に本庁から入り込んでこないように、意図的、連続的に、分断工作がなされてきたと推察される。

N 総務課長、(参事=部長待遇も兼務)(院長相談役になる時点、日額給が支払われる時点に関与)

Q資料9-①、平成24年、12月28日付、河内氏作成の増額要望の文書、増額の要望があったことは知っていたか?

〇秋口に、事務長と私に、設置者代行の時の75万円と比べて、安すぎるのではないかという話が、河内氏からあった。週3日で契約している以上、払うとしたら時間外で払うしか方法が無いのではと話した。

Q その後、事務長とも相談したのか?

〇事務長とは、特に何も検討していない。要望については、時間外として払うようになったのかなと。その後、どのように決まったのかは把握していない。注

△日額給を支払う際に押印をする立場でありながら、そして1年近く支払い続けていながら、どう支払うかを把握していないという証言は、不可解。

Q 資料9―④は、あなたと河内氏が作成したと見られる文章だが、記憶はあるか?

〇記憶にない。

△K事務長の方は、10年前の記憶を手繰り寄せている様子があったが、N総務課長については、自分の関与が疑われる資料を、突然、見せられたにもかかわらず、動揺する事なく、即刻、「記憶にない。」と回答している。

Q 河内氏から増額要望を聞いた後に、検討や調整をした記憶はあるか?

〇記憶にない。

Q どこで検討されるべきか?

〇事務長以上の役職者で定期的に行っていた会議の場で話が出たのではないかと思われるが、自分は出ていないので経過はわからない。この文書については、自分は作っていない

Q 河内氏に、時間外勤務分の支払いが行われていたことを知っていたか?

〇知らなかった。秋口の相談以降なら、わかる気がする。

 どういう過程で支払われるものなのか?

〇通常、本人から時間外勤務命令簿の提出があり、決済を頂いて支払うという形。院長相談役の場合、事務長が決裁していたと認識。

 トップが決めるにしても、誰にいくら支払うのかについて、事務長や課長のところを全くスルーするようなことはあるのか?

〇決裁権限は、事務長専決。事務長を交えて話をしないと、担当の方でも対応できない。

△条例上、決裁文書が無ければ、支払いをスタートさせることはできない事を鑑みれば、その契約書や回議書が無い以上、日額6万円は、「事務長以上の役職者の決定を経ていない」と見るべきである。

仮に、日野市の主張通りに、決裁文書は紛失しただけで、存在はした」のであれば、総務課長の答えるべきは、「その回議書に基づいて支給した」となるはずである。

「自分は、決裁に加わっていない」という課長の認識が真実だとしても、どのような回議書が回ってきたのか、あるいは、誰から支給決定を指示されたのか、くらいは証言できるはず。

自分の参加していない役職者会議において、既に決定された事項であるかのように、河内市から思い込まされたことによって、支給に押印した疑いがある。

院長相談役にスライドした当時は、市長や院長の交代の時期であり、事務長の病気による移動があった時期、即ち、混乱期であったために、本庁側には、河内続投に関して興味がある人間は、一人もおらず、かつ、市長も副市長も、決済した覚えも無かった。

そして、この日額6万円に関しても、河内氏は、自らの雇用について、「病院直属の契約である」として、大坪市長が口出しできないように、バリアーを張っていたことや、「基本的に、河内氏の給与は、院長と相談しながら院内で決めていた。」というM元事務長の証言からしても、大坪市長は、決裁には、関与していなかったと考えられる。

要するに、この日額6万円の支給は、M事務長の証言するように、本庁の関与なく、病院内部において、秘密裏に決定されたからこそ、回議書が存在しないという事になるのである。そして、回議書という正式な書面に残せないようなイレギュラーな契約であったために、河内氏は、お互いの取り決め事項として、河内メモとして残し、そして、この日額6万円という違法性の高い支給を清算するために、病院との調整に入った職員課に対して、この文書をもって契約は成立していると、主張したものとみられる。

河内氏の同意を得て、この契約を清算した後に、今度は、後々、問題が発覚した時のために、この契約が、河内氏主導で行われたことを証明するための資料として、河内メモが、課長の机の引き出しにしまわれて施錠され、証拠として保管された。と見るべきである。

M事務局長の後任のK事務長 (事務長は、K氏→M氏→K氏の順)

Q 臨時職員の雇用確認書は、どうなっているのか?

〇臨時職員200名ほどのものが一つにまとまっていて、上に回議書がつけられている。病院の決裁は、事務長から院長へ。以前は回していなかったが、要綱上、職員課の合議が必要となったので、29年度から見直している。

△「28年以前は、職員課との合議が無かった」「病院の決裁は、事務長から院長へ回される」ということは、河内氏の日額給の決裁権者は、院長という事になる。しかし、院長は、「一部適用において給与の額まで口出しする権限は無い」と回答しており、あくまでも、「自分以外が決裁した内容について承認しただけ」という認識である。

 院長の決裁印を押す欄が無いが、どうなっているのか?

〇個人の確認書を束ねて、上にまとめて一枚の回議書を添付し、それに押印している。

 イレギュラーな形で支払うのに、根拠となる文書が何もなくても、支払いができるものなのか?

〇始まる時の扱いがどうだったのかは、知らない。

 病院資料№13 は、誰が作ったのか?

〇支払う担当が作っていた。決まった書式があるわけでは無い。

 誰の指示で作っているのか?

〇以前からの引き継ぎがあったのだと思う。担当者の所属部署は、総務課総務係。(←最初に支払いを指示したのは、N課長であることは間違いない。)

 上からの指示・指導を受けて、つくっていたということか?

〇毎月の事なので、引き継ぎ等を受けて処理していたものと思われる。

 最終的な決裁権者は誰か?

〇決裁権者は、全体額の支出の決定、すなあち、「今月はこれだけ出します」というのは事務長。

それを受けて、個々の支払いは課長決済。28年度当初はM事務長決済。細かい支出命令は課長決裁

事務長決済の際に、細かく個々の支払い額まで、見切れていなかった。

△要するに、200枚近い臨時職員の中に、河内氏の支払い指示書が紛れ込んでいても、総額があっていれば、事務長は、中身まで見ることなく押印していたというおと。日額給が発生する1月分の給与は、K事務長の次に赴任したM事務長の赴任と同時に始まる。M事務長は、200名分の給与がいくらになるのかを総務部長から確認しない事には、総額が決定でいないが、新任故に、前月よりも総額が増えていることに気が付かず、後々、不適切な支給をし続けていたことに気が付いたと見られる。そうでなければ、引き継ぎ時から知っていたことになるが、いづれにしても、M事務長は、決裁には関与していない事は確か。